徳川夢声の指摘しているいいポイントは、人間、同じ刺激を受け続けていれば早晩飽きるということ。しかし、いったいどのくらいの時間同じだと飽き始めるのか。おそらく状況や、相手のテンションといったことでもその長さは変わるはず。それを知る一つの手段は、自分が受け手に回ったときの内省で、これが一番手軽かつ確実な手段ではある。もしかすると、心理学では、こういったことはすでに知られているのかもしれないので、あとでLLMで調べてみよう。

ただスピーカーを通じて再生された音と、生で喋っているのとでは、音質云々を抜きにしても、やはり受け取られ方がまったく違う。人間は、目の前に他人の存在を認識するのとしないのとでは、情報の受け取り方のモードが、生理的に変わってしまう。

そう考えると、パプリックビューイングのようなものは不思議で、あれはどういう状態なんだろう。ストリーマーのライブ配信などはある程度インタラクティブなので、生の人とやり取りしている感覚があるのは理解できる。とはいえ、いずれも目の前に肉体がある本物の体験とは、比べるべくもない。

「速さは正義」が成立しないとき、苦行への旅が始まる。だがそれは、また別のイノベーションへの道でもあるのかもしれない。

速さは正義とは。システムが十分に速くイテレーションが高頻度で回せさえすれば、問題と思っていたことも問題ではなくなる、の意。

テストフィクスチャって、(たぶんRailsの影響で)単にテストデータのことだと思ってたけど、実際にはもう少し意味があって、Given-When-Thenで言うところの、Givenのことを指すのがフィクスチャっぽい。Wikipedia見たらデバイスって書いてあって、フィクスチャってデバイスなの!?ってなった(元々電気工学とか由来らしい)。

足立高徳さんの翻訳した本で、おそらくonelinerが「一行野郎」って訳されてるんだけど、いいな一行野郎。

最初からレイヤードアーキテクチャになってなかったプロジェクトのでっかいコアロジッックをレイヤードに変えるのって、かなり絶望的かもしれない。みんなを巻き込んでアーキテクチャ変更の同意を取ってとか、ダルすぎて手に負えない。実際のとこ、最初に定められたアーキテクチャに関する意思決定を後から変更するのは困難よな。